韓国・中国・ロシア三国をつなぐ旅③牡丹江から東寧・綏芬河

三日目の旅は牡丹江から中学生が逃避行で歩いた道を
逆にバスでたどることになります。
東寧まで200kmあります。
この時間を利用して自己紹介をすることにしました。
ガイドの曹さんは今回の旅で三回お会いすることになります。
いつも適切なガイドと理路整然としたご自分の考え方を
持っておられる方で、お話を聞くのと楽しみにしています。
まず、中国は広いので中国人もいろいろな気質があり
東北の人は概しておおざっぱで懐が深い気質だということで
石頭村の人たちもそういう人たちだった御思うと話されました。
バスは緑の中を走っていきます。
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私は今回の旅は三か国を回る旅で
興味もあり、シリーズ三回目の参加になることでそんなに深く考えることはありませんでした。
曹さんのお話で一番印象に残ったのは少年たちが命令に従って報国農場にきたり
満蒙開拓団の人たちが満州で苦労したのは大変だったけど
その土地は日本人が元から開拓したのではなく、中国の人が開拓し生活していたのを
追いやって入植したものであるという話でした。
参加者の中では満州から引き揚げた方、身内が満州でなくなった方、
お父さんが満州の土地で軍医さんをしていたとか、引き上げの時や、その後の苦しかった
話など、いろいろな話が飛び出してきて、あまり考えもしていなかった私は
皆さんの話を聞いて考えさせられました。
ちゃんと見学しないといけないなあと改めて思いました。
また最近の中国の発展ぶりは目覚ましく、牡丹江から綏芬河まで高鉄が開通し
4時間かかった所が一時間半で行けるようになったとそれもここ一年の間の話です。
中国に来るたびにどんどん変わっていくのがよくわかります。
ロシア風の駅が見えました。
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途中小さな売店がある所の東寧迄の間に一ヵ所だけある
サービスエリアでトイレ休憩しました。
今回の旅行で一番大変だったのはトイレでした。
以前みたいに汚くはないですがなんせ数が少なく35人ツアーでは
時間もかかり大変でした。
東寧の町について今回の旅に特別に私たちの趣旨を聞いて
東寧の現地の方が特別にガイドについてあちこち紹介していただきました。
東寧の町についてみんなの希望で本屋さんに寄りました。
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皆さんは地図がほしかったようです。
日本では正確な地図が必要ですし、売っていますが広大な土地に少ない人で現地では
地図の必要性があまりないようでした。
本屋では皆さんいろいろなものを買われました。本屋の店員さんは
日本人が大勢入ってきてびっくりしておられたようです。
私は韓国語の本と医療関係の中国の雑誌を買いました。
韓国語の本は塗り絵になっていて今色鉛筆で楽しんでいます。
中国の雑誌は一月号でした。ははは!!
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町並みは明るく
奇麗でした。
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東寧について最初に大肚川村へ
行きます。バスから見ると村中がきくらげ畑でした。
ロシアとの国境に近くにある御成橋を見学しました。
橋の名前が昔のまま残っていました。
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今回の旅で
福岡から参加された方が東寧から受け取ったお父さんの手紙を持って
参加されました。お父さんは軍医さんでした。満州で長くいて最後には
沖縄で戦死された話を聞きながらここに立たれたと話されました。
ぐっときました。
橋から見える青い建物の場所が元病院で今は工場になっているとのことでした。
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川の下を覗くとカモは平和そうに
泳いでいました。
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次に日本家屋がそのまま残っている
軍人クラブを見学しました。
ここはきくらげの工場になっていて中は何も残っていなくて建物の外側だけが残っていました。
住んでいる方は親切な方で中を開けてくれました。そして以前の写真も見せてくれました。
とても優しく対応してくれました。
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きくらげ畑が延々と続きます。
白い塊に菌を植え付けて栽培しています。
東寧名産で食堂で売っていたので買いました。
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次は現地のガイドさんの案内で
砲台跡そして少年たちが働いていた報国農場跡地へ行きました。
広々としたところでその向こうはロシアです。国境まで1kmしかない所だそうです。
写真ではちょっと広さがわかりませんが広いです。
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その後塹壕が残っているところを
教えてもらいました。樹木の並木の前の所がそうだそうです。
後ろに見える山はロシアです。
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樹齢何年の木かなあ
この木はここであったことを全部見ていたんでしょうね。
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東寧の町に戻って
ガイドさんをお別れして東寧要塞の見学に行きました。
東寧要塞は1932年に満州国建国の後1936年から建築工事が始まり
1937年に完成13万人の日本兵が駐屯、要塞付近は無住区で70余りの村が
破壊され住民は追い出されたばかりでなく要塞建設、飛行場・鉄道・道路のために
17万から20万人が強制労働に駆り立てられたそうです。
東寧要塞はウラジオストクから150キロこの地に南北100キロ東西50キロ
20以上の陣地が構築された。現在内部を見学できるのはこの勲山陣地だけだそうです。
英雄の銅像とか飛行機や武器の展示などそして博物館があります。
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急な階段を上って要塞の入り口にたどり着きます。
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中はじめじめしていて
決して快適な所ではありません。嫌になります。
部屋の名前とかお風呂の後とかわかる所がありました。
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中を通り抜けると
山の上に出ます。そこに日中友好の碑が立っていました。
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本当に仲よくしないといけないと思いました。
要塞の外に出て中腹から見たカチドキ山です。後ろに薄く見えている山なりはロシアです。
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色々な思いを巡らしながら
下に降りていくと5時前で博物館は閉まっていました。そこを無理を言ってあけてもらいました。
融通が利き優しい係員の方でした。
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駆け足でそれなりにガイドさんの説明を聞きました。
そしてそこから綏芬河の町まで移動しました。
食堂でごちそうを食べてホテルに入りました。もう暗くなっていたけどきれいな街でした。
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種類も多く量もたっぷりで
しっかり食べて明日の列車の国境越えに備えました。


# by yukinachan55 | 2017-06-17 00:28 | Trackback | Comments(0)

韓国・中国・ロシア三国をつなぐ旅 ② 中国牡丹江 寧安 石頭鎮駅

二日目は朝早く韓国仁川空港から牡丹江へ飛びます。
 朝早くにもかかわらず、朝食は韓国名物「ソルロンタン定食」を
ゆっくり食べることができました。今回の旅行は韓国は一日だけの
滞在でしたが有意義の時間を持つことができました。

中国では二日間は牡丹江空港から寧安→東寧→牡丹江と
中国東北地方の一番東 ロシアとの国境地域を旅します。
学習会で学んだ「私の15歳昭和20年の体験」と
「ソ満国境15歳の夏」と関東軍の後をたどります。
終戦前の5月に関東軍からの動員命令で東寧報国農場に動員された
中学生たちが過酷な労働と軍事訓練を課せられ、二か月の動員満期後も
延長命令が出てその後ソ連軍の参戦により東寧からの脱出逃避行が始まり
東寧駅ではすでに関東軍たちが逃げた後で列車もなく徒歩での逃避行に
なります。290kmの徒歩に新京を目指します。
苦労の末たどり着いたら8月末から10月までソ連の収容所で
極限の生活を強いられます。
開放されて収容所から石頭村につき、やせ細った栄養失調の集団を見て見かねた
村人が声をかけてくれ村長に相談し貧しい農家に分散して泊めてもらうことができました。
貧しい家族とともに夕食を一緒にし、土間に寝かしてもらいオンドルの暖かさで
ぐっすり眠ることができで命が助かった。
中国の石頭村の皆さんの暖かい人情に感謝しても感謝しきれないほど恩義を感じて
います。
手記の内容を書いて見ましたが私の力ではちょっと限界がありますのでご了承ください。

韓国仁川空港から牡丹江までは二時間半かかります。
直線距離で行くと一時間ぐらいで行けると思うのですが、
北朝鮮を避けて中国の上を飛んで牡丹江空港に入りました。
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牡丹江空港も新しくなっていました。
入国も荷物が出てくるのも思ったよりスムースでした。
でも制服姿の人がぞろぞろいるのにはちょっと興ざめです。
中国の変わりようは激しく、高速鉄道も高速道も一年前にできましたと
ガイドさんのお話です。
飛行場に降りると緑が豊かで田舎に来たという感じがしました。
私たちは少年たちの逃避行を逆にたどることになります。
牡丹江空港からまずはバスで少年たちにやさしく接してくれた石頭村に
行きます。
バスの中からの景色です。冬には真っ白になるんだろうけど今は緑豊かです。
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とにかく広いです。
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少年たちがたどり着いた石頭駅が新しくなってはいますが場所はそのまま残っていました。
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丁度今は列車が走っていない時間なので
駅舎には入れませんでした。でも見ていた地元の人が回り込んだら
入れると教えてくださって、プラットホームに入ることができました。
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周りを見渡すと田舎の村でした
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色々な思いが頭の中や
心の中を駆け巡りました。ここを後にして次は収容所跡にバスを進めます。
収容所跡は今は精神病院になっています。以前は入ることもできお参りすることも
できたらしいですが、今は外観を見るだけで入ることもできませんでした。
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奥は深い森になっています。
再び牡丹江へ帰ります。
運転手さんが近道を通ってくれたので村の様子が少しわかりました。
少しでも空き地があれば野菜を植えています。
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牡丹江では旧牡丹江神社に行きました。
大きな公園になっていました。
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中国の開放記念塔です。
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この山の上に要塞跡があるのですが
階段で登らないといけないので、断念しました。
町の中は大きな街路樹がある街です。
次は山下奉文宅を見学ですがここは漢方薬の大きな工場になっていました。
外観から見ただけで写真はありません。
この後は満鉄の宿舎跡に行きました。
旧くなっているけど、まだ残っていました。でも開発が進めが
すぐ取り壊しになることでしょう。
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私たち日本人が36人もぞろぞろ歩いていると
韓国地でもなく普通のそれも古い建物跡を、現地の人たちが奇異な目で見ています。
挨拶をして日本人で古い歴史の勉強をして跡地を訪ねていると説明しました。
ニコッと笑ってくれましたが。
横に立っていた女性に話しかけると以前も日本の人たちが
来たと話してくれました。
今日はこれで見学はおしまいです。
夕食は量がいっぱいでおいしい中華料理でした。
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とにかく品数も量もとても多かったです。でっかい東北の人らしいです。
明日はもう一日中国にいます。


# by yukinachan55 | 2017-06-16 13:58 | 海外旅行 | Trackback | Comments(0)

最初の第一歩 毎日一つ感動


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