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韓国・中国・ロシア三国をつなぐ旅⑥最終日ウラジオストクを歩く

 今日は最終日午前中はウラジオストクの町を散策します。
昨日要塞博物館で買った絵葉書を数枚書いてホテルで投函してほしいと頼んだら
地図を出してきてポストオフィスの場所を案内してくれました。
時間もあるから霧雨の中郵便局に行きました。
後から考えたらホテルの裏にあたるのに最初に見た駅からの
イメージがあってずいぶん遠回りしました。
切手はかわいくてきれいなものが多かったです。
ちょっと時間がないので必要な分だけ買って張りました。
三枚張らないといけないので切手だらけになりました。
昨日無事に着いたと連絡がありました。二週間かかったようです。
郵便局の建物です。
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おばちゃんが下向いたとき慌てて撮った写真です。
断ってもっとちゃんととった良かったと後で思いました。
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まあとにかく無事にポストに投かんしました。
ホテルに帰ると9時10分前でちょっと慌てました。
今日の見学はニコライ凱旋門からです。いわれを話してくれたのですが
ちょっと聞き取りにくく忘れました。
耳太郎(ガイド器)を持って出るのを忘れました。ははは!!
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横から見るとなおかっこいい
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次は鷹ノ巣展望台に行きますが
きっと何も見えないと思うぐらいきりがかかっていました。
途中奇麗な建物だと思って写真撮ったら銀行のようでした。
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やっぱり鷹ノ巣展望台からは
何も見えませんでした。
風がきつくちょっと寒かった。
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本当はきれいな海と町が展望できるのだと
思います。ここでも愛情のしるしのカギが売っていました。
いつも間にあらわれたのが売り子さんが登場していました。
展望台の銅像は二人の聖人ですが一人の名前はキリルさんです。
左側の人です。
キリル文字を作った人だそうです。二人は覚えられません。
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最後の見学所は
郷土博物館です。資料が素晴らしく良かったのですが。
時間なくちょっと残念でした。
気に入ったものをアップします。
年代順な並んでいました。土器です.
向こう側に見えるのは私たちのグループです。
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神獣鏡です。
ここでは女性が持つか紙でなく男性が戦いの時に持ったものでそうです
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人形がかわいい
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こどもたちが学習に来ていました。
いいですね。
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お湯を沸かすサモワールです。
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イコンはいいなあ。
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最後はレーニンさんの登場です。
部屋展示に充てられていました。b0044296_23434245.jpg















廊下を飾っていたステンドグラスが
奇麗です。
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見学を終えて
近くのチョコレートのお店でお土産に買いました。
最後に中央広場の戦士の像を見てお別れです。
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無事に観光を終えて
後は空港へと出発です。バスの中でどんな空港やったかと
思い出そうとしても出てこない、なんでやと思たら飛行機で来たんでなく
あの苦労した列車で来たんでした。ははは!!
空港の近くのレストランで昼食をとり飛行場に行きました。
レストランに入る前にUターンしたのがひっかかったのか
運転手さんがしばらく帰ってこなかったのでちょっと心配したけど
なんともなく良かった。
バスから見た飛行場
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中で見たウラジオストク飛行場
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おまけは牡丹江で買った本です。
左が韓国語の塗り絵、右が健康の雑誌一月号でした。
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飛行場ではあまり時間もなく買い物もできませんでした。
ウラジオストクから韓国仁川空港からまで二時間半かかります。
北朝鮮を避けて通るのでそれぐらいの時間になるようです。
大韓航空はとてもサービスがよくテレビで韓国映画見ました。
面白かったです。
仁川空港では少し時間があったので本屋によってゆっくり本を探しました。
小説を二冊買って帰りました。
今読んでいますが、散文でなく小説は難しいです。
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今回の旅行は
仁川で一応解散して、成田、中部、福岡、関西と別れて
帰国の途につきました。
35人の大所帯のツアー旅行でしたがみんな体も壊さず無事でした。
ちょっと普通の旅行者ではない旅でいろいろな経験ができて楽しかったです。
学習会を含めて企画してくださった方に感謝です。
ちょっぴりしんどい所もあったけど有意義は楽しいたびになりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
メモを取らないで記憶と写真に頼ったブログです。
つたない所は寛容な心を持ってください。
最後に添乗員さんそれぞれ韓国、中国、ロシアのガイドさんありがとうございました。
それでは次はどこに行きましょうか?


by yukinachan55 | 2017-06-20 23:17 | 海外旅行 | Trackback | Comments(1)

韓国・中国・ロシア三国をつなぐ旅 ⑤ウラジオストクを歩く

昨日の列車による中国ロシアの国境越えは体力と精神力がいる
移動日になってしまいましたが、終わってしまえばそれも旅の一つです。
まあ!一番思ったことはロシアのおばさんやお姉さんのあの
すごい迫力あるナイスバディには勝てないということです。
勝とうとも思いませんが。
今日はウラジオストクの町を歩きます。
今回の旅のために事前に持った学習会で堀江満智さんの
19世紀末から20世紀初期のウラジオストクの日本人街のお話を聞きました。
この時代は堀江先生のおじいさんのお話になります。
明治・大正時代のウラジオストク(ウラジオ、浦潮、浦汐)は貿易や商業が
急速に発達した町で周辺から流入した人々が人種、国籍を問わず協力して
市民生活を築いていました。
日本人は国策による移民でもなく日本を逃れた人でもなく正式を
パスポートを持って渡り、町の発展に寄与し現地に溶け込んで暮らしていました。
その時代は日露関係も良かったが、ソビエトの革命に続く日本のシベリア出兵があり
日露関係も悪くなりソビエト政権の成立と日本軍の撤退で1922年に日本人の大半が引き上げ
1937年には民間の日本人は皆無になった。というお話をおじいさんやお父さんの
持っていた資料をもとに話を聞きました。
民間の人々か築き上げたものを国の政策でダメにしてしまった。
ということだと思いました。
初めて聞くお話でした。
まだ、その時代のものが残っている街を散策します。

この日のウラジオストクは朝から霧に包まれていました。
この季節はいつも曇り空の驟雨が降り続くそうです。
ウラジオストクの町は全体にヨーロッパの風の建物が
続き、アジアの雰囲気はあまりありません。
まずはウラジオストク駅の見学から始めます。
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前の広場にはレーニン像が立っていました。
レーニンさんは本来はモスクワの方を指さすのですが、そうなるとうしろ向きに
なるので、この像は日本の方角をさしているそうです。
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霧の中でくすぶっていました。
信号を渡る時にガイドさんが短いから気を付けてください。といわれました。
本当に短かったです。
信号のない所では渡る時は必ず車は止まってくれます。安心して渡れました。
完全に歩行者優先の社会でした。
駅に入場する時は荷物検査があります。
構内はとてもきれいでした。
天井を見るとモスクワのウラジオストクの様子が描かれていました。
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時刻表がありますが
ロシアではウラジオストクとモスクワの間の時差は7時間です。
列車の時刻表はモスクワの時間で表示されることになっているそうです。
へええと感心しながら、本当にヒロインやなあと思いました。
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宗教画イコンが飾られていました。
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プラットホームにおりました。
ここでプラットホームへ出たときに一人遅れた人がいて探しに入ろうとしたら
係りの人に怒られて覗くこともできませんでした。怖かった。
絶対に逆走はできないそうです。
アメリカから送られたという機関車の展示がありました。
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戦後アメリカと仲が悪くなったけど
線路の幅がアメリカとソビエトでは違ったそうで結局変換しなかったそうです。
プラットホームの高さが違ったりいろいろ見学して出口から出ました。
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次は与謝野晶子の歌碑の見学に行きました。
静かな住宅街に中にひっそりとありました。
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今から100年前の1912年5月に
与謝野晶子は夫鉄幹を追いかけてシベリア鉄道に乗ってパリまで行ったそうです。
シベリア鉄道ができて10年ぐらいの時期ですね。
彼女は子だくさんで子供の世話を頼んだり、費用も相当かかったと思われます。
すごいなあ、やっぱりすごいなあと思います。
この日の横に釈迦如来様がいらっしゃいました。すてきなお顔でしょ。
こちらの方が気に入りました。
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そこを出るとすぐ前にロシア正教の協会がありました。
玉ねぎ坊主の屋根です。屋根の色が二色のものは女性名がついていて一色の建物は
男性名がついているとガイドさんが説明してくれてたような気がします。
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そこから歩いて
日本人町が盛んな時にみんながお参りしていた浦潮本願寺跡を見学しました。
今は碑が静かに立っていました。建物の基礎も少し残っていました。
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その後日本人学校を見学します。
ほとんどそのままの状態で残っているそうです。
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次は堀江満智さんの
おじいさんやお父さんが働いていた堀江商会の建物の見学です。
赤色のすてきな建物でした。そんなに古くなっていない状態のようです。
横を鉄道が走っています。
お話を聞いていたので、違った目で建物を見ることができました。
この建物を見ているとそこ頃の生活は豊かなものであったと想像できます。
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今回の旅行は総勢35名で
一番困ったことはトイレです。街を見学していても、トイレがありません。この時も
ここの前のスーパのトイレを拝借しました。その後バスで通る時も
そこだけはすぐわかりました。
こどもたちは人懐っこく手を振り大きな声であいさつしてくれます。
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道端で見たショーウインドーです。
中国からか買い付けたものこんなにして売ってるのかなあと思ってしまいます。
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学習会の時にもらった当時を
地図を見ながら街を歩きました。当時日本人が住んでいた木造住宅が
残っているというのでガイドさんについて見に行きました。
すごいことに今でも人が住んでいるとこことでした。
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日本大使館の
建物です。
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朝鮮銀行が入っていた建物です。

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ここからはバスに乗って金角湾を
渡2012年に開通した黄金橋を渡ってルースキー島に入ります。
昼食をとった所から見た黄金橋です。霞がかかっていてボーっとしか見えません。
海には客船が軍艦も浮かんでいますが、はっきりしないです。今の季節はいつもこんな感じだそうです。
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ルースキ島から
今来た街の方を眺めました。
かすかに灯台が見えます。
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最後の見学は
裏地をストック要塞博物館です。
博物館の中は色々な資料が整えられていました。
博物館は高台にあり街を海が眺められました。
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なんかここまで来ると
ちょっと疲れてしまってざっと見学しました。
要塞模型です。
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食料を運ぶ図です。
日本の攻撃に備えていたんだと思います。
結局は使うことはなかったと説明されていました。
各地の要塞の絵が展示されていました。
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夕食はロシア料理でした。
面白いレストランで食べました。
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昔の地図を見ながら
現在のウラジオストクを歩く散歩道面白かったです。
新しくなっているけどまだ残っているというものがそれなりにあることに感動しました。
ホテルのベッドが狭く落ちないかと心配しましたが大丈夫でした。




by yukinachan55 | 2017-06-19 21:17 | 海外旅行

韓国・中国・ロシア三国をつなぐ旅 ➃中国綏芬河から列車で国境を越えロシアクロデコポコへ

四日目はいよいよ中国綏芬河から列車で国境を越えて
ロシアのクロデコポ駅に入ります。
この旅行の一番興味がある所です。
しかしながらとてもとても大変なことになりました。
中国国境の町綏芬河は夜について一泊し朝出発したので
ゆっくり見学する時間はありませんでした。
坂の町でロシア風の建物もありきれいな街でした。
綏芬河駅はここ一二年であたらしくなったそうです。
大きな奇麗な駅でした。
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駅に入ると列車の時刻表が出ていました。
私たちの列車は9時50分に出発します。
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この駅で中国出国の手続きをします。
中国のガイドさんとは改札口でお別れです。お世話になりました。
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列車の切符です。
綏芬河からクロデボコの中国語 71元ですから 1450円ぐらいです。
二等車です。
出国は荷物検査があり、入国審査があります。飛行機のようにシステム化
されていないので、ものずごく時間がかかります。
厳めしい係りの人です。日本人が大勢通ることはほとんどないようです。
無事出国手続きをして列車に乗り込みます。
列車内は片側が三人向かい合わせての席で片側が二人向かい合わせの席です。
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荷物を置くところがないので
小さいスーツケースは網棚にあげ、床下に横にして置いたりと
苦労しておさめようとしますがなかなか全部収まりません。
前の車両を見るとガラガラ、なんでやろう?そこは交渉して
おさまらない大きなスーツケースだけおいてもらいました。
荷物を収めるだけでひと騒動だったのですが、あとで
ロシア人の持っている荷物に仰天びっくりの状態になります。
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窓から見た列車です。
列車は定刻通り出発しました。
26kmの距離の所を何故か一時間半かかります。
途中で外の景色を見ていると同じところをぐるりと回っている感じがしました。
国境を越えても案内があるわけでなくわかった人が拍手してくれてわかりました。
途中で交差するのに長い時間泊まりました。
列車の中では私たちの車両は中国人と一緒になりました。
私たちは静かに座っていますが、中国の人たちは
あちこちで宴会を始めます。食料をいっぱい買い込んで楽しく
やかましく歓談しています。
中国の列車にはお湯の設備があるので散歩がてら
見学に行きました。
三両目にあると聞いていたのですが、ありません。
ロシア人が荷物をデッキに山済みにしていて場所が見えませんでした。
後でこの荷物に悩まされることになります。
ロシア人ばかりの車両では三つの席を独占して
横になっているトドのような女性やすごい姿をいっぱい見ました。
なんで、あそこはすいているのやろうと思いながらすごいなあと
歩いてきました。
お湯の出るところを探していたら、ロシアの人が「NONO]というので
よく効いたら私たちがお便所を探していると思ったらしく
列車が止まっている時は使えないと教えてくれました。
この列車も日本の昔と一緒で垂れ流し便所です。
中国人の人たちに挨拶したらそれなりに仲良くなって、
テーブルに山盛りのひまわりの種をいただきました。
みんなで分けて食べたらとてもおいしかったです。
ひとりの中国人の女性が「日本人なのになんでこんな
安い列車に乗るのか?」と質問されました。
日本人がローカル列車に、それも大人数で乗ることは不思議な
光景だったようです。
「列車で国境を越えたかったからです。」と答えておきました。
彼女たちはハバロフスクに行くようでした。
まあなんやかんやあったけど、無事クロデコポ駅にに到着しました。

列車は止まったけど、プラットホームはありません。
大きな荷物を仲間の人に助けてもらって降ろし、えんやらやと
線路に降りました。丁度雨が降ってきて慌てました。
ここからが地獄の行軍が始まります。
駅の入り口が入国審査場になっています。
入り口から私たち5人ずつ入りますが、
手続き窓口は一つしかありません。係りの人はニコッと笑って
親切ですがなんせ時間がかかります。
何とか終わったと思ったら次からが大変なんですが
荷物を持って狭い通路に並んで荷物検査があります。
これがすごいことになっています。私たちはスーツケースと
手荷物だけですが、ロシア人は中国で買い付けたものを
手荷物で検査場へ持ち込みます。
これがまたすごい量で。長椅子ぐらいのテーブルがあり
ソファーがありタンスがあり、引っ越しかと思うほどです。
その上ロシア人は荷物を後ろからバケツリレーみたいにして前へ
送ったりとずるをします。それを見とがめた中国のおばさんが
怒鳴っていたけど、ロシア人はそんなこと知らんふりしていて
さすがの中国のおばさんも負けてしまいます・
私たちは中国人もすごいと思っていたんですが
上には上があるものです。
私の周りの人はスーツケースでロシアのおばさんが入らないように
ブロックしましたが、それでも乗り越えようとするのですごいです。
順番になっていってみますと荷物検査は一つしかありません。
これはひどいと思いました。
結局私たちのグループは最初の人が出てから二時間半以上かかって
最後の人が出てきました。
途中から出てくる仲間を大きな拍手で迎えました。
クロデコポ駅です。
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ロシア人の荷物です。
こんなのはまだかわいいぐらいです。
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最後の人はへとへとになって
大変でしたが、とりあえずロシアのガイドさんに迎えられて
予定より三時間近く遅れて昼食の場所に行きます。
駅のトイレは三元で有料でした。
ここからウラジオストクまでバスで移動します。
見渡す限り草原でした。
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昼食はおいしかったロシア料理でした。

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ウラジオストクに着いたときは
夜になっていました。昼食とってから時間たっていなかったけど
ホテルの隣のレストランで夕食を食べました。
列車の中の賑わいや荷物検査の行軍から逃れて静かな素敵な
レストランでゆったりとしました。
色々な出会いがあり、お国柄など直接見て経験して
感心したり、びっくりしたりと旅ならではのことがいっぱいあります。
本当に疲れた列車の国境越えの一日でした。
後で思い出すと笑い話になると思います。



by yukinachan55 | 2017-06-18 22:19 | 海外旅行 | Trackback | Comments(3)

韓国・中国・ロシア三国をつなぐ旅③牡丹江から東寧・綏芬河

三日目の旅は牡丹江から中学生が逃避行で歩いた道を
逆にバスでたどることになります。
東寧まで200kmあります。
この時間を利用して自己紹介をすることにしました。
ガイドの曹さんは今回の旅で三回お会いすることになります。
いつも適切なガイドと理路整然としたご自分の考え方を
持っておられる方で、お話を聞くのと楽しみにしています。
まず、中国は広いので中国人もいろいろな気質があり
東北の人は概しておおざっぱで懐が深い気質だということで
石頭村の人たちもそういう人たちだった御思うと話されました。
バスは緑の中を走っていきます。
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私は今回の旅は三か国を回る旅で
興味もあり、シリーズ三回目の参加になることでそんなに深く考えることはありませんでした。
曹さんのお話で一番印象に残ったのは少年たちが命令に従って報国農場にきたり
満蒙開拓団の人たちが満州で苦労したのは大変だったけど
その土地は日本人が元から開拓したのではなく、中国の人が開拓し生活していたのを
追いやって入植したものであるという話でした。
参加者の中では満州から引き揚げた方、身内が満州でなくなった方、
お父さんが満州の土地で軍医さんをしていたとか、引き上げの時や、その後の苦しかった
話など、いろいろな話が飛び出してきて、あまり考えもしていなかった私は
皆さんの話を聞いて考えさせられました。
ちゃんと見学しないといけないなあと改めて思いました。
また最近の中国の発展ぶりは目覚ましく、牡丹江から綏芬河まで高鉄が開通し
4時間かかった所が一時間半で行けるようになったとそれもここ一年の間の話です。
中国に来るたびにどんどん変わっていくのがよくわかります。
ロシア風の駅が見えました。
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途中小さな売店がある所の東寧迄の間に一ヵ所だけある
サービスエリアでトイレ休憩しました。
今回の旅行で一番大変だったのはトイレでした。
以前みたいに汚くはないですがなんせ数が少なく35人ツアーでは
時間もかかり大変でした。
東寧の町について今回の旅に特別に私たちの趣旨を聞いて
東寧の現地の方が特別にガイドについてあちこち紹介していただきました。
東寧の町についてみんなの希望で本屋さんに寄りました。
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皆さんは地図がほしかったようです。
日本では正確な地図が必要ですし、売っていますが広大な土地に少ない人で現地では
地図の必要性があまりないようでした。
本屋では皆さんいろいろなものを買われました。本屋の店員さんは
日本人が大勢入ってきてびっくりしておられたようです。
私は韓国語の本と医療関係の中国の雑誌を買いました。
韓国語の本は塗り絵になっていて今色鉛筆で楽しんでいます。
中国の雑誌は一月号でした。ははは!!
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町並みは明るく
奇麗でした。
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東寧について最初に大肚川村へ
行きます。バスから見ると村中がきくらげ畑でした。
ロシアとの国境に近くにある御成橋を見学しました。
橋の名前が昔のまま残っていました。
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今回の旅で
福岡から参加された方が東寧から受け取ったお父さんの手紙を持って
参加されました。お父さんは軍医さんでした。満州で長くいて最後には
沖縄で戦死された話を聞きながらここに立たれたと話されました。
ぐっときました。
橋から見える青い建物の場所が元病院で今は工場になっているとのことでした。
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川の下を覗くとカモは平和そうに
泳いでいました。
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次に日本家屋がそのまま残っている
軍人クラブを見学しました。
ここはきくらげの工場になっていて中は何も残っていなくて建物の外側だけが残っていました。
住んでいる方は親切な方で中を開けてくれました。そして以前の写真も見せてくれました。
とても優しく対応してくれました。
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きくらげ畑が延々と続きます。
白い塊に菌を植え付けて栽培しています。
東寧名産で食堂で売っていたので買いました。
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次は現地のガイドさんの案内で
砲台跡そして少年たちが働いていた報国農場跡地へ行きました。
広々としたところでその向こうはロシアです。国境まで1kmしかない所だそうです。
写真ではちょっと広さがわかりませんが広いです。
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その後塹壕が残っているところを
教えてもらいました。樹木の並木の前の所がそうだそうです。
後ろに見える山はロシアです。
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樹齢何年の木かなあ
この木はここであったことを全部見ていたんでしょうね。
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東寧の町に戻って
ガイドさんをお別れして東寧要塞の見学に行きました。
東寧要塞は1932年に満州国建国の後1936年から建築工事が始まり
1937年に完成13万人の日本兵が駐屯、要塞付近は無住区で70余りの村が
破壊され住民は追い出されたばかりでなく要塞建設、飛行場・鉄道・道路のために
17万から20万人が強制労働に駆り立てられたそうです。
東寧要塞はウラジオストクから150キロこの地に南北100キロ東西50キロ
20以上の陣地が構築された。現在内部を見学できるのはこの勲山陣地だけだそうです。
英雄の銅像とか飛行機や武器の展示などそして博物館があります。
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急な階段を上って要塞の入り口にたどり着きます。
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中はじめじめしていて
決して快適な所ではありません。嫌になります。
部屋の名前とかお風呂の後とかわかる所がありました。
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中を通り抜けると
山の上に出ます。そこに日中友好の碑が立っていました。
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本当に仲よくしないといけないと思いました。
要塞の外に出て中腹から見たカチドキ山です。後ろに薄く見えている山なりはロシアです。
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色々な思いを巡らしながら
下に降りていくと5時前で博物館は閉まっていました。そこを無理を言ってあけてもらいました。
融通が利き優しい係員の方でした。
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駆け足でそれなりにガイドさんの説明を聞きました。
そしてそこから綏芬河の町まで移動しました。
食堂でごちそうを食べてホテルに入りました。もう暗くなっていたけどきれいな街でした。
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種類も多く量もたっぷりで
しっかり食べて明日の列車の国境越えに備えました。


by yukinachan55 | 2017-06-17 00:28 | Trackback | Comments(0)

韓国・中国・ロシア三国をつなぐ旅 ② 中国牡丹江 寧安 石頭鎮駅

二日目は朝早く韓国仁川空港から牡丹江へ飛びます。
 朝早くにもかかわらず、朝食は韓国名物「ソルロンタン定食」を
ゆっくり食べることができました。今回の旅行は韓国は一日だけの
滞在でしたが有意義の時間を持つことができました。

中国では二日間は牡丹江空港から寧安→東寧→牡丹江と
中国東北地方の一番東 ロシアとの国境地域を旅します。
学習会で学んだ「私の15歳昭和20年の体験」と
「ソ満国境15歳の夏」と関東軍の後をたどります。
終戦前の5月に関東軍からの動員命令で東寧報国農場に動員された
中学生たちが過酷な労働と軍事訓練を課せられ、二か月の動員満期後も
延長命令が出てその後ソ連軍の参戦により東寧からの脱出逃避行が始まり
東寧駅ではすでに関東軍たちが逃げた後で列車もなく徒歩での逃避行に
なります。290kmの徒歩に新京を目指します。
苦労の末たどり着いたら8月末から10月までソ連の収容所で
極限の生活を強いられます。
開放されて収容所から石頭村につき、やせ細った栄養失調の集団を見て見かねた
村人が声をかけてくれ村長に相談し貧しい農家に分散して泊めてもらうことができました。
貧しい家族とともに夕食を一緒にし、土間に寝かしてもらいオンドルの暖かさで
ぐっすり眠ることができで命が助かった。
中国の石頭村の皆さんの暖かい人情に感謝しても感謝しきれないほど恩義を感じて
います。
手記の内容を書いて見ましたが私の力ではちょっと限界がありますのでご了承ください。

韓国仁川空港から牡丹江までは二時間半かかります。
直線距離で行くと一時間ぐらいで行けると思うのですが、
北朝鮮を避けて中国の上を飛んで牡丹江空港に入りました。
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牡丹江空港も新しくなっていました。
入国も荷物が出てくるのも思ったよりスムースでした。
でも制服姿の人がぞろぞろいるのにはちょっと興ざめです。
中国の変わりようは激しく、高速鉄道も高速道も一年前にできましたと
ガイドさんのお話です。
飛行場に降りると緑が豊かで田舎に来たという感じがしました。
私たちは少年たちの逃避行を逆にたどることになります。
牡丹江空港からまずはバスで少年たちにやさしく接してくれた石頭村に
行きます。
バスの中からの景色です。冬には真っ白になるんだろうけど今は緑豊かです。
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とにかく広いです。
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少年たちがたどり着いた石頭駅が新しくなってはいますが場所はそのまま残っていました。
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丁度今は列車が走っていない時間なので
駅舎には入れませんでした。でも見ていた地元の人が回り込んだら
入れると教えてくださって、プラットホームに入ることができました。
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周りを見渡すと田舎の村でした
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色々な思いが頭の中や
心の中を駆け巡りました。ここを後にして次は収容所跡にバスを進めます。
収容所跡は今は精神病院になっています。以前は入ることもできお参りすることも
できたらしいですが、今は外観を見るだけで入ることもできませんでした。
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奥は深い森になっています。
再び牡丹江へ帰ります。
運転手さんが近道を通ってくれたので村の様子が少しわかりました。
少しでも空き地があれば野菜を植えています。
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牡丹江では旧牡丹江神社に行きました。
大きな公園になっていました。
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中国の開放記念塔です。
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この山の上に要塞跡があるのですが
階段で登らないといけないので、断念しました。
町の中は大きな街路樹がある街です。
次は山下奉文宅を見学ですがここは漢方薬の大きな工場になっていました。
外観から見ただけで写真はありません。
この後は満鉄の宿舎跡に行きました。
旧くなっているけど、まだ残っていました。でも開発が進めが
すぐ取り壊しになることでしょう。
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私たち日本人が36人もぞろぞろ歩いていると
韓国地でもなく普通のそれも古い建物跡を、現地の人たちが奇異な目で見ています。
挨拶をして日本人で古い歴史の勉強をして跡地を訪ねていると説明しました。
ニコッと笑ってくれましたが。
横に立っていた女性に話しかけると以前も日本の人たちが
来たと話してくれました。
今日はこれで見学はおしまいです。
夕食は量がいっぱいでおいしい中華料理でした。
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とにかく品数も量もとても多かったです。でっかい東北の人らしいです。
明日はもう一日中国にいます。


by yukinachan55 | 2017-06-16 13:58 | 海外旅行 | Trackback | Comments(0)

韓国・中国・ロシア三国をつなぐ旅 ①38度線非武装地帯見学

長らく更新を怠ってしまいました。
その間、三月に中国西安、四月に中国天津、五月にソウルと旅行していて
ブログ更新よりも次回の旅の準備に追われていました。
今回の旅は「北東アジア平和と友好の旅」で久しぶりに大勢のツアーに参加しました。
参加者は35人でそれぞれが今回の旅行に思いを持って参加されたようです。
事前に二回学習会を行いました。
一回目は今回の韓国の非武装地帯の歴史について
、中国東北部「ソ満国境15歳の夏と関東軍」
「私の15歳昭和20年の体験」で貴重な資料をもとに学習しました。
二回目は「19世紀待つから20世紀初期のウラジオストクの日本人街」
そこ頃ウウラジオストクへわたり真面目に働いたおじいさんの残した資料を基に
お孫さんである堀江満智さんのお話を聞きました。
学習会の時はそれなりに聞いていた話を実際に自分の足で歩き見た廻った後で
再度資料を見るととてもよく話から貴重な学習会だった感心し
主催者の方たちのご努力に感謝しました。

一日目は関西空港に集合です。今回は関西空港から二八名成田空港から三名
福岡空港から三名中部空港から一名添乗員一名がソウル仁川空港で待ち合わせます。
朝7時半集合は早かったけど丁度バスの便がありちゃんと間に合いました。
関空から仁川までは一時間50分の飛行時間ですが、昼食が出ました。
最近はほとんど格安切符の旅の久しぶりの機内食でした。
仁川で全員集合して、このまま38度線非武装地帯の見学に行きました。
バスで移動途中の検問所で係員がパスポートの確認に入ってきました。
若い軍人さんでした。
ますは非武装地帯の最初の見学地臨津閣(임진각)です。
ここは南と北をつなぐ橋を見ることができ、展望台や北側を拝める遥拝所
等があります。
南と北とがつながっていいる橋を眺めました。
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最近この橋の途中まで行けるようになっていました。
切符を買った行けるようです。時間がなかったので見るだけです。
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朝鮮戦争中の襲撃にさらされた列車の展示です。
弾丸の後が生々しく残っていました。これでは人は生きていないだろうと思いました。
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ここで式典を行ったときのものです。
なんか痛いほど気持ちがわかります。
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次にバスで移動して非武装地帯の中に入ります
ここでは説明の映像室と第三トンネルの見学をしました。
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最初は映像室でトンネルの説明の映像を見ました。
写真展示で一番印象に残ったものです。
説明には「 군사분계선읗 긋고 있는 유엥군과 북한군」
「軍事分界戦を書いている連合軍と北韓軍」とありました。
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次に第三トンネルにむかいました。
北朝鮮による南進トンネルでちか73m幅2m高さ2mという大規模なものです。
ここでは写真は絶対ダメということで写真はありません。
荷物は全部ロッカーに預けます。ヘルメットをかぶって
まず、三人横並びで座り、モノレールで地下に入っていきます。
あまり気持ちのいいものではありません。
下に着くと横に掘ったといわれるトンネルが続いていました。
頭に気を付けながら最終非武装地帯の最後173mまで歩きました。
そこには鉄条網が張られトンネルの向こうは北朝鮮です。
掘ってある壁を見ると北朝鮮が掘ったものと解るそうです。
次にトラk展望台に行きました。
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展望台の屋根には
「분단의끝 통일의시작」 分断の終わり、統一の始まり」と書いてあります。
この日はガスっていて遠くの北朝鮮が見にくかったです。
写真は黄色い線の中に入って写してはいけないことになっています。
非武装地帯の模型の前から写した写真で向こうに見える山はすべて北朝鮮です。
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次に韓国最北端の駅にあたる
京義線トラサン駅に向かいました。
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構内に入ると真正面の壁には
「남쪽의 마지막 역이 아니라 북쪽으로 가는 첫번째 역입니다」
「南側の最後の駅でなく 北側への最初の駅です。」
篤い統一への気持ちが伝わってきます。
構内に入って眺めた鉄道です。
この鉄道がつながれば韓国から北朝鮮シベリアを通ってヨーロッパスペインまで
行くことができます。
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立て看板です。
トラサン駅 →ピョンヤン205km  →ソウル56km
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トラサン駅を後にして帰る途中に
向こう側に北朝鮮が見えます。
有刺鉄線が悲しく続いています。
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複雑の思いを胸に非武装地帯の見学を終えました。
ホテルへ移動する途中に漢江を渡る時西の空に夕日がきれいに光っていました。
南も北も同じ太陽なのに見ることができる場所が限られていることは
本当に悲しいことです。
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今日は仁川の近くのホテルに泊まり
夕食は韓定食を食べ、街中のホテルでした。
隣のコンビニで土産に韓国のお菓子を買いました。
明日は早朝から仁川から飛行機で中国牡丹江へ移動します。
ゆっくり休みました。
















by yukinachan55 | 2017-06-15 11:45 | 海外旅行 | Trackback | Comments(4)

最初の第一歩 毎日一つ感動


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