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中国の大気汚染のニュースを見て思うこと

 ここ二、三日中国の大気汚染のニュースが大々的に報道されています。
さもありなんと思いました。やっぱりくるべきものはきたか。です。
2010年の夏に三週間ぐらい北京で遊学をしました
中国語を習いはじめて、本場の中国語を聞きたいと思い、又中国の首都
北京の歴史も現在の様子も自分の目で確かめたかったんです。
北京は初めてなので、安心して泊まれる所と短期で中国語を習うことが
出来る条件でネットであちこち探しました。
そして見つけたところがなんべんさんの
北京の安宿ディスカバリーユースホステルでした。
その時の様子はブログ北京で遊学で報告しています。
最初北京の空港に着いて迎えに来てもらって車に乗ったら
霧の中でこれは一体何?と思ったのが最初でした。
なんべんさんが言うには北京は曇りです。
日本の曇りは先方のずっと見通せて空に雲が多くあることを言いますが
北京の曇りは先方がまったく見えません。
その日は一日中晴れませんでした。
十二年ほど前に北京に観光で来た時は真っ青な空が見えました。
本当にびっくりしました。
「そのうち風が吹いて空気が動くと晴れるでしよう」とゆうことでした。
これは黄砂と聞いたら黄砂は春で今は夏だから
結局排気ガスの影響だとおもうよ。
といわれました。
北京の北海公園、天安門、故宮博物館、天壇園などあちこち歩きましたが
広い所なのに遠くはかすんでいました。
市内をバスをよく利用したのですが。クーラーが入っていないバスは
手ぬぐいで口をおおっていました。
私はほとんど口をおおっていましたが、
その当時マスクをかけている人は皆無でした。
晴れる日もあったのでその時はすっとして大丈夫でしたが
日を追うごとに段々苦しくなってきました。
中国語を習っている先生と話しているとき
「北京の空気は本当に悪いですね」というと
「郊外に行かないと駄目ですよ。」
「郊外というとどこらへんですか?」とたずねたら
「内モンゴルまで行かないとね。とにかく万里の長城の外へでないと駄目ね」
といわれました。
本当に大気汚染がひどいものだと中国の人も
知っているんだなあと思いました。
 なんべんさんの友人で北京の古い街の中で喫茶店をしている
日本の方がいらっしゃって、一度連れて行ってもらいました。
北京では人が多くいつも がさがさしていたけどそこではゆったりと
した時間を過ごすことが出来ました。
ところが二度目に行った時、店がしまっていたんです。
どうしたのかと連絡を取ると幼稚園の子どもさんが気管支の病気が
ひどくなって日本へ緊急避難するために
ご主人と子どもさんが日本に帰ったので休んだそうです。
ここでも大気汚染がまずこどもの身体に出ていて
ひどくなっているんだなあと思いました。
 その時にこれは何とかしないとひどいことになるなあと実感しました。
あくる年も北京に行きたかったのですが、空気が悪いのが怖くて
結局計画したけど行きませんでした。

 私の母は50歳前に亡くなりました。
本当に若かったです。いわゆる心臓麻痺で突然いってしまいました。
もう40年前になります。
大阪に来る前は徳島のきれいな海の側に住んでいました。
徳島では父が働く所が無く父はひとり大阪に出てきていました
そして無理して働いて大阪に母と私たちを呼び寄せました。
そこは大阪の南津守の市営住宅でした。
近所に大きなセメント会社があり、有名な造船所がいっぱいあるところでした。
高度成長期の真っ只中の日本でした。
工場の煙突から白い煙がどんどん出ていました。
そんな中で母も製剤所で働いていました。
そのうち気管支が弱くなっていつも首にタオルを巻き
よく咳をしていて体調もあまりよくなかったようです。
体調が悪くても我慢する人でした。
そして、若くてなくなりました。
いつも妹と話すんですが、母はきっとセメント会社から出る
空気の悪さが絶対影響してたと思うよ。
今から考えたら公害の犠牲者やったんとちがうかなあ」と
ずっと住んでいたらわからなかったんですが、
田舎から出てきた親戚に
「こんな空気の悪い所によう住んでるわ」
となんべんも言われたことを思い出します。
 空気の悪さは知らず知らずに身体を汚染していきます。
大阪もその頃に比べたら格段ましになっています。
津波による原子力発電の放射漏れは、それ以上に恐ろしいことです。
空や海は続いています。
何処までも、一国の問題ではないです。
日本の放射能が世界に影響あるように
中国の大気汚染は西風に乗ってすぐ日本にやってきます。
空気や水や土が汚染されたら逃げる所はありません。
個人が守ることなんて少ししか出来ません。
政治の力で何とかしてもらわないといけないです。
地球が汚れていっているという怖さをひしひしと感じる昨今です。
by yukinachan55 | 2013-02-01 23:31 | 思い | Trackback | Comments(0)

もうひとりのまっちゃんのこと 今年の年賀状から

 昨日に続いて今年の年賀状からです。
もうひとりのまっちゃんは
「私の好きな言葉}
「ありがとうございます」と「お蔭様で」
年を重ねるごとに増えるこの二つの言葉
認知症になっても一生最後まで忘れたくない言葉だ
と年賀状に書いてきました。

まっちゃんとはずっと昔、山の会で知り合いました。
最初に一緒に行った山行は確か比良山だったと思います。
とても良いお天気だったのに突然夕たちに降られました。
山ではこんなことはよくあることなのに
まっちゃんは「何で雨が降るの。雨が降るって誰も言ってなかったやん」
と本気で怒っていました。
初めての海外の山でネパールに行った時は何回もミーティング
をして山行訓練もしてまっちゃんも私も参加しました。
ネバールの空港に着いたら外は明かりも無く戦後みたいな雰囲気で
空港内をねずみが走っていました。何事も初めてのことなので
みんなカルチャーショックで大変でした。
二十年以上も前の話ですが、今でも大きく変わっていないと思います。
でも、お天気もよくラバや牛のうんこ踏みながら
ヒマラヤの山を見ながら、楽しくトレッキングして過ごしました。
あるとき遅くなって懐中電灯がいるようになりました。
当然私は持っていましたがまっちゃんは持っていません。
「何で懐中電灯がいるようになるまで歩かせるの?」
と怒っていました。
私が後から照らしてあげました。
ちゃんと歩けるくせに若いガイドさんに手を持って助けてもらっていました。
「怖い!怖い」って言いながら  うそつけ!!
私がのどが痛くなった時、「このルゴール濃い目にしてうがいしとき」
とまっちゃんに言われたけどめんどくさいので「いいわ」というと
「山のことは先輩のあんたに全部聞くけど、病気のことは
私の言うこと聞き」と言って譲りませんでした。
カトマンズに帰ってからホテルで突然お金があわへんと騒ぎ始めました。
仕方ないので収支を聞き取ってルピーで計算して
財布の中のお金をあわしてあげました。ちゃんとあっていました。
「あ!ほんまにあってるね」と言いながら財布をバッグに直していました。
国内では北アルプスの黒部五郎岳を縦走した時もちょっと石が出てくると
「岩場や、岩場や」と言って大騒ぎします。
ただの石畳みやっていうのにいちいち大変でした。
ちょっとした坂でもお尻ついております。
鳳凰三山に行ったとき、オベリスクに登ったんですが、
まっちゃんは下で待っといた方が良いよと言ったんですが、
最初は納得していたのに、突然私も登ると言い出しました。
やばいなあと思ったけど気をつけて登れば何とかなるので
一緒に登りました。
上まで上がっていい景色だと満足していたのですが、
さあ、下る段になってまっちゃん固まってしまいました。
まずは、「登ってきたんだから絶対に降りれるからあんしんし」
と言い聞かせました。そして私の手足を置いたそのとおり降りて
来るねんでといって後になり先になり右足ここ、次は左足と
言いながらゆっくりとおろしました
降り切った時はまっちゃんより私のほうが大汗かいていました。
樹林帯に入ってから距離が長く段々嫌になってきたのか
途中でリュック投げてもういややと言い出しました。
仕方ないのでマットを引いてゴキブリ体操をして
一息入れてから、「山はタクシーがないからね」と言って
気分入れ替えて下りました。
宿で入ったお風呂は最高でした。まっちゃんも満足顔でした。
私たちは女性ばかりの山仲間で「ななかまど」と
言う名前で山に行っていました。
山の思い出は言い出したら切が無いぐらいあります。
しかし年をとって段々山にいけなる人が増えてきました。
連絡は取り合っているけど一緒に山に行くことはなくなりました。
まっちゃんはことのほか富士山が好きでその後も
富士山だけは毎年登っていました。
まっちゃんは病院の看護士さんです。
まっちゃんは大阪市内にお母さんと同居していたんですが
退職した後、思い立って兵庫県の姫路から奥に入った町に
50年契約で土地を借りて家を建てて
夫婦だけで引っ越しました
ゆったりした素敵な家です。
息子さんが二人いるのですが、よくわからないのですが、
息子さんがおばあちゃんをほって勝手に田舎へいったといって
親を勘当したそうです。
息子さんは二人ともお医者さんになっています。
しばらくはおやこ断絶の状態が続いたようですが
今は、息子さん二人にそれぞれ子どもさんが五人ずつ
孫さんが十人いて、大阪と田舎を行き来しているそうです。
私たち「ななかまど」のメンバーで
まっちゃんの家で三回同窓会をしました。
彼女はお好み焼きがとても上手で
私のリクエストでいつも美味しいお好み焼きを準備してくれます。
もちろんお漬物とか町でない料理も用意してくれています。
近くの温泉に入って一泊するのですが、みんなでずっとしゃべっています
大阪とは違ってゆったりした田舎暮らしを楽しんでいるようです。
村の役員も引き受けて今では村の住人になっています。
今年も暖かくなったらみんなでまっちゃんの家に押しかけようと思っています。
by yukinachan55 | 2013-01-09 23:34 | 思い | Trackback | Comments(2)

まっちゃんのこと 今年の年賀状から

 まっちゃんから今年も年賀状が届いた。
何気なく差出人の名前の所を見ると奥さんの名前の横に長男(二ヶ月)
とこどもの名前が入っている。
 すごい!がんばったねと思わず年賀状に言ってみた。
つらつら考えたらまっちゃんとの付き合いもかれこれ30年以上になる。
最初の出会いは私が勤めていた職場に新規採用で20歳の
はつらつとした青年が入ってきた。
それがまっちゃんだった。
久しく若い人の採用が無かったので職場では大いに歓迎された。
本人は若いのはもちろんだが仕事がぱりばり出来て,親切で
人当たりもよく誰からも好かれた。
もちろん女性からもすごい人気でよくもてた。
その後、色々話があったが、彼が気に入って彼女に
プロポーズするために彼女の実家に出かけたらしい
ところが相手の父親の猛反対にあってあえなく撃沈したらしい。
と人づてに聞いた。
その後、同じ職場の人が退職して淡路島でご夫婦でペンションを始めた
まっちゃんはそのお手伝いに夏休みも返上して出かけたらしい。
その時知り合ったペンションのオーナーの娘さんと仲良しになった。
そして、その娘さんと結婚した。
幸せに暮らしていると思ったら、私のところにペンションのオーナーの
奥さんからおかしなお手紙をもらった。
まっちゃんの結婚生活がうまく行っていないようだった。
そのごたごたに私も少し巻き込まれたようだった。
私も慌てふためいたが当人同士の問題だからどうしようもない
結局二人は分かれたようだ。
そうこうしているうちに私も知っている彼女と再婚することになった。
すごい美人で仕事もよく出来る素敵な人だった。
ただ彼が言うには旅行に行っても一泊5万円ぐらいの部屋に
とまらなあかんねんと言っていたことを今チラッと思い出している。
そうこうしているうちにまっちゃんは新しい職場に転勤していった
それからは年に一回ある同窓会であうだけになってしまった。
その同窓会にも時々彼女と同伴で来たこともある。
同窓会であった時
「こどもが欲しいなあ」とぽつんといったことがあった。
「結局二人ともでけへんねんから、問題はあんたにあるんとちがう」
と冷やかしておいた。
その後も一年に一回しかあわなかったんだけど
まっちゃんと同じ職場の女性から「まっちゃんって悪いひとやわ」
と言ううわさを聞いた。
結局奥さんと離婚して職場の若い女性と再々度結婚することになったらしい
一年に一回あう同窓会ではみんなに散散悪い奴やとか
言われながらニヤニヤしていたまっちゃんだったけど。
昨年の同窓会では私が韓国へ行った間におこなわれたので
その時はまっちゃんが全部お世話してくれたらしい。
その会に参加していたらわかっていたかもしれないが?
そして、今回の年賀状だ。
待望の長男の誕生のお知らせの年賀状だった。
まっちゃんおめでとう!
どんな縁で結婚し離婚し結婚し離婚し結婚するのかは
他人から推し量ることは出来ない
五十過ぎてから出来た子供だ、
親が70歳代で成人式を迎えることになる。
まっちゃんの快挙に乾杯し、末永く健康でしっかり奥さんと協力して
子育てをして欲しいと願うばかりである。
by yukinachan55 | 2013-01-08 16:35 | 思い | Trackback | Comments(4)

暑中見舞い

 今日は台風が四国通過中ということでどこにも行かず家でごろごろしています。
風は少しあり、雨もぱらぱらときますがそんなにひどくありません。
 
 年賀状は毎年出しますが、暑中見舞いはその年によってだしたり、ださなかったり
出す相手もその年によって変わります。
 年賀状は同時に交換するので、こちらが知りたいことが一年遅れになったりします。
暑中見舞いは時期も幅があります。
今年は日ごろご無沙汰している方に出しました。
 わたしは字がとても下手なので自筆で書くとなると億劫になりますが
パソコンのおかげで案外気楽に出すことが出来るようになりました。
手書きの達筆で来るはがきには惚れ惚と眺めています。
 返事はそれぞれみんな違います。
メールで返送してくる方は早いです。
ハガキ、封書はぱらぱらときます。
みんな近況が詳しく書かれています。旅行に行った話や家族の話、
病気の話とさまざまですが、ハガキや封書でいただくのはホッコリします。
暑中見舞いがきっかけで、お会いした人もいます。
職場の転勤で苦労している話をしっかり聞きました。
生きがいもあるけれども、割り切ってお金のために働きつつけますといって
決意を話す友人と会いました。
 ぜひ会いたいからといってお会いしたら、体調もよくなく介護している
母親のためにも定年にならないけど3月で退職する報告をしたかったからと
言う友人とも会いました。
現職で働くのは大変だ時代になっています。
 山の友人で20年前に南アルプスであった名古屋の山友達がここ二年
年賀状が来なかったので書中見舞いに「生きてますか?」
と書いて送りました。
たまたま大阪に出張することがあって連絡をもらい十年ぶりぐらいにあいました。
相変わらず元気で、子育てやいろいろあって山は登れなかったけど
やっと久しぶりに山に登ったそうです。
25kをかついて、登ったらばててしまったとの事、年を感じたそうです。
久しぶりに会っても山の話になると次から次へと話はつきません。
又、一緒に山に登る約束をして別れました。
暑中見舞いを出すことで楽しい夏休みが送れました。
by yukinachan55 | 2011-09-03 12:30 | 思い | Trackback | Comments(0)

「ゆきんこさんのホームページです。」十周年

 2001年8月30日にはじめた「ゆきんこさんのホームページ」が
十周年をむかえました。
 最近はほとんど更新することもなく「ゆきんこ日記」のブログ更新のみに
なってしまっています。
 始めた時は右も左もわからずに回りの人にずいぶん助けられました。
カナダの旅行に行ったときに写真を載せようと思って作ったのがはじめです。
ソフトの使い方もわからずに苦労しました。
最初の頃は容量も少なく、いくらアップしても反映しないのでどうしたのかなあと思ったら
容量不足によることも多かったです。
アルバムの無料提供もいつの間にか有料になったりして、やめたくても
相当数のアルバムがリンクしているのでやめることも出来ず、なんか
割り切れないものを感じることもありました。
最近時間も経ったし、アルバムは解約しました。
ブロクの容量も多くなったし、ツイッターなど、その当時はなかったものが
たくさん出来てきました。
当時一緒に始めた仲間もだんだん少なくなってきています。
つたないブログですが、頭の体操、ボケ防止だと思って続けて行きたいと
思っています。
今日は、一人で画面を見ながらこの10年を思い出しながらいろいろ考えていました。
by yukinachan55 | 2011-08-30 23:11 | 思い | Trackback | Comments(2)

最後のまんじゅうです。

 いつも休みになると出かけるときも家にいる時も
いつもの饅頭屋さんで買っていました。
御夫婦で作ってお店に出して売っています。
職人さんです。それが今月いっぱいで店を閉めます。
年取って仕事がつらくなったそうです。
息子さんが近くに店を出して実質継いでくれるそうです。
残念ですが、ご苦労様でした。
おいしいまんじゅうだったのに!
最後のまんじゅうは葛饅頭と最中です。
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by yukinachan55 | 2009-05-24 21:46 | 思い | Trackback | Comments(0)

豚インフルエンザ

 一昨日から豚インフルエンザの患者が一気に増えたことで
すごい社会の動きになっています。
インフルエンザが流行した時はあらよあらよという間に
患者が増えることは経験しているけど、
今回は初めてのインフルエンザ菌と
言うことで大変なんだなあと思いながらそれにしても大変ですね。
修学旅行で新幹線に乗り込む直前で中止になったり
一週間学校が休校になるということです。
すごいですね。
子どもたち家でおとなしくしているやろかと心配です。
普段のインフルエンザだと最終的には学校長が職員から事情を聞き
休校の判断するのに今回は上の上の方から一斉です。
恐いインフルエンザですね。
これからもインフルエンザにかかわらず、今までになかった病気が
でた時にはこういう風になるのかなあと考えた時
地球の気候がおかしくなり温暖化がすすむということが
どんな形で私たちの生活を脅かすのかと思うと少し恐くなります。
昨日韓国語教室に行くために梅田に行ったのですが、
電車の中でも歩いていてもマスクしている人が大勢います。
私の感覚ではマスクしている人は風邪にかかってその予後のため
マスクをかけると思っているのでマスクをかけている人に
囲まれると風邪をうつされる~とおもってパニクリそうになります。
最近は風邪の予防とか花粉症のためにマスクをかけるのですね。
それにしても、マスクの効果はどうなんかなあ?
今回の報道を聞いていると
いままでどおり栄養のあるものを食べて身体を丈夫に保ち
睡眠不足にならないようにし、外出から帰ったら
よく手を洗い、うがいをして正しく生きることですね。
あまり報道に振り回されないように、冷静にいようと思いました。
by yukinachan55 | 2009-05-19 11:48 | 思い | Trackback | Comments(0)

エコ

冷たい雨になっていますが、
湿気を運ぶ雨もいいかなあなどと考えています。
それにしても寒い。
最近テレビのコマーシャルやネットの広告を見ていると
大企業の宣伝にエコ社会とかエコ製品とかよく出てきます。
もちろん一人ひとりが環境を守る立場に立つことは
大切なことだと思います。
でも、今までガソリン使って大気汚染の原因を作った
反省はどこにもなく、エコ製品の宣伝をしいるのを見ると
単に商品買い替えをさせる為にやっているとしか思えません。
エコバックもあちことでもらって家に数個あります。
よく考えたら一つでいいものです。
エコバック一つとってみても売らんかなの商品になって
しまっているようです。
エコバックを一番使用したのは、韓国で買い物した時でした。
今はどうなっているか知らないけど、ビニール袋が有料でした。
外国人の私にはただでくれたけど、一つ持っていったエコバックが
大いに役立ちました。
何でもかんでも袋に入れました。
先日、姫路城に行った時、加古川あたりだと思うのですが、
黙々と煙を吐いている工場がありました。
しかも土曜日でした。
あれだけだすと個人が使う何年分かなあと感心しながら見ていました。
地球温暖化の状態をテレビなどで見ると本当に大変なことに
なっていると思います。
個人的に多少の努力は惜しみませんが、
自治体や国の問題として考えないと追いつかないところにきているなあと
思いました。
アメリカの大統領も変わったことだし、日本もどうなるかあと
考えながら、電気消しまわっています。

なかなか咲かないシクラメンです。今年は花が大きいです。
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by yukinachan55 | 2009-01-22 18:21 | 思い | Trackback | Comments(2)

腰痛

昨年9月ごろからひどくなった腰痛です。
座っていると何ともないのに歩くと5分も歩けなくて右足がしびれて
どうしようもなくつらい毎日でした。
前に左足を捻挫した時、腰が少しだるかったので整形外科でみてもらったの
ですが、その時は何ともないといわれました。
ちょっとその時に気をつけるとか日常の注意事項など言ってくれるということは
整形外科ではまったくありませんでした。
9月に見てもらった時以前のレントゲンと比べてそら悪くなっているでしょう
いいます。見たら私でもおかしいことがわかります。
そして、どうしたら治るかと聞くと治りません、痛みがひどくなったら注射をするだけ
です。近頃は注射もすすんでいますからといわれました。
なんと冷たい言葉でしょう。医者やったら治すこと考えてよと思いました。
ずっとこれからこの痛みをかかえるなんて、考えただけでも夢が無くなります。
退職まで6ヶ月ありました。
色々な人に聞いて東洋医学の中から探すことにしました。
背骨がずれているのが原因なので、背骨を矯正することを歌っているカイロプラクティック
に行くことにしました。
昨年の9月末でした。原因は骨盤のゆがみで骨盤のゆがみを正してから背骨の
矯正に入るということでした。
半信半疑でしたが、とにかく治るといわれるほうを信じることにしました。
毎週通ったのですが、私としては3ヶ月ぐらいで治る兆しがでると思っていました。
それまでは、痛みは痛みとして受け止め、痛みに集中しないで今までと変わらない
生活を続けました。
一月ごろが迷いの頃でした。痛みは取れないし、寒さでますます体が固まるような気が
しんどくて初めて先生に本当に治るのでしょうかとききました。
先生は今大事な時だから、やめないで辛抱して治療しましょうと答えてくれました。
このあたりが一番しんどかった頃だと思います。
3月に退職して、家でゆっくりするようになると見る見る楽になっていきました。
先生が、私の治療もあるけれども、体が休養できることでよくなってきました。
といわれました。
退職して2ヶ月がたちました。
まだまだ無理は出来ませんが、自分でも腰が伸びたし、みんなが姿勢がよくなったと
言ってくれます。
良くなってくると気持ちも落ち着き、前が見えてきます。
焦らず、なおして、飛び歩きたいと思っています。
この竹のようにしなやかにまっすぐ伸びたいです。b0044296_22162578.jpgあちこち
by yukinachan55 | 2008-06-06 22:22 | 思い | Trackback | Comments(0)

一ヶ月休憩していました。

韓国から帰って、しばらく気が抜けたような感じでした。
毎日緊張して生活して、ある意味充実していました。
帰ったら仕事や色々な雑事が待ち構えていました。
そうしているうちに、韓国で買った韓国語のドリルをしたり韓国語の
ラジオ講座をまじめに聞きだすとパソコンに向かう時間がなくなりました。
韓国ドラマの「キツネちゃんどうしたの」と「いとしのおばかチャン」にはまって
しまい、そちらに時間を取られたり、冷えると腰が痛くなって
本当にパソコンのブログにはご無沙汰してしまっていました。
気がついたら一ヶ月も休んでしまいました。
といってパソコン開くと、年賀状の作成が待っていました。
今日は、とりあえず住所録だけ整理しました。
あ~~あこんなこといっているまに今年も終わりそうです。
明日からがんばってブロク再開します。
by yukinachan55 | 2007-12-17 22:25 | 思い | Trackback | Comments(0)

最初の第一歩 毎日一つ感動


by yukinachan55
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