韓国・中国・ロシア三国をつなぐ旅 ⑤ウラジオストクを歩く

昨日の列車による中国ロシアの国境越えは体力と精神力がいる
移動日になってしまいましたが、終わってしまえばそれも旅の一つです。
まあ!一番思ったことはロシアのおばさんやお姉さんのあの
すごい迫力あるナイスバディには勝てないということです。
勝とうとも思いませんが。
今日はウラジオストクの町を歩きます。
今回の旅のために事前に持った学習会で堀江満智さんの
19世紀末から20世紀初期のウラジオストクの日本人街のお話を聞きました。
この時代は堀江先生のおじいさんのお話になります。
明治・大正時代のウラジオストク(ウラジオ、浦潮、浦汐)は貿易や商業が
急速に発達した町で周辺から流入した人々が人種、国籍を問わず協力して
市民生活を築いていました。
日本人は国策による移民でもなく日本を逃れた人でもなく正式を
パスポートを持って渡り、町の発展に寄与し現地に溶け込んで暮らしていました。
その時代は日露関係も良かったが、ソビエトの革命に続く日本のシベリア出兵があり
日露関係も悪くなりソビエト政権の成立と日本軍の撤退で1922年に日本人の大半が引き上げ
1937年には民間の日本人は皆無になった。というお話をおじいさんやお父さんの
持っていた資料をもとに話を聞きました。
民間の人々か築き上げたものを国の政策でダメにしてしまった。
ということだと思いました。
初めて聞くお話でした。
まだ、その時代のものが残っている街を散策します。

この日のウラジオストクは朝から霧に包まれていました。
この季節はいつも曇り空の驟雨が降り続くそうです。
ウラジオストクの町は全体にヨーロッパの風の建物が
続き、アジアの雰囲気はあまりありません。
まずはウラジオストク駅の見学から始めます。
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前の広場にはレーニン像が立っていました。
レーニンさんは本来はモスクワの方を指さすのですが、そうなるとうしろ向きに
なるので、この像は日本の方角をさしているそうです。
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霧の中でくすぶっていました。
信号を渡る時にガイドさんが短いから気を付けてください。といわれました。
本当に短かったです。
信号のない所では渡る時は必ず車は止まってくれます。安心して渡れました。
完全に歩行者優先の社会でした。
駅に入場する時は荷物検査があります。
構内はとてもきれいでした。
天井を見るとモスクワのウラジオストクの様子が描かれていました。
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時刻表がありますが
ロシアではウラジオストクとモスクワの間の時差は7時間です。
列車の時刻表はモスクワの時間で表示されることになっているそうです。
へええと感心しながら、本当にヒロインやなあと思いました。
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宗教画イコンが飾られていました。
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プラットホームにおりました。
ここでプラットホームへ出たときに一人遅れた人がいて探しに入ろうとしたら
係りの人に怒られて覗くこともできませんでした。怖かった。
絶対に逆走はできないそうです。
アメリカから送られたという機関車の展示がありました。
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戦後アメリカと仲が悪くなったけど
線路の幅がアメリカとソビエトでは違ったそうで結局変換しなかったそうです。
プラットホームの高さが違ったりいろいろ見学して出口から出ました。
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次は与謝野晶子の歌碑の見学に行きました。
静かな住宅街に中にひっそりとありました。
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今から100年前の1912年5月に
与謝野晶子は夫鉄幹を追いかけてシベリア鉄道に乗ってパリまで行ったそうです。
シベリア鉄道ができて10年ぐらいの時期ですね。
彼女は子だくさんで子供の世話を頼んだり、費用も相当かかったと思われます。
すごいなあ、やっぱりすごいなあと思います。
この日の横に釈迦如来様がいらっしゃいました。すてきなお顔でしょ。
こちらの方が気に入りました。
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そこを出るとすぐ前にロシア正教の協会がありました。
玉ねぎ坊主の屋根です。屋根の色が二色のものは女性名がついていて一色の建物は
男性名がついているとガイドさんが説明してくれてたような気がします。
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そこから歩いて
日本人町が盛んな時にみんながお参りしていた浦潮本願寺跡を見学しました。
今は碑が静かに立っていました。建物の基礎も少し残っていました。
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その後日本人学校を見学します。
ほとんどそのままの状態で残っているそうです。
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次は堀江満智さんの
おじいさんやお父さんが働いていた堀江商会の建物の見学です。
赤色のすてきな建物でした。そんなに古くなっていない状態のようです。
横を鉄道が走っています。
お話を聞いていたので、違った目で建物を見ることができました。
この建物を見ているとそこ頃の生活は豊かなものであったと想像できます。
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今回の旅行は総勢35名で
一番困ったことはトイレです。街を見学していても、トイレがありません。この時も
ここの前のスーパのトイレを拝借しました。その後バスで通る時も
そこだけはすぐわかりました。
こどもたちは人懐っこく手を振り大きな声であいさつしてくれます。
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道端で見たショーウインドーです。
中国からか買い付けたものこんなにして売ってるのかなあと思ってしまいます。
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学習会の時にもらった当時を
地図を見ながら街を歩きました。当時日本人が住んでいた木造住宅が
残っているというのでガイドさんについて見に行きました。
すごいことに今でも人が住んでいるとこことでした。
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日本大使館の
建物です。
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朝鮮銀行が入っていた建物です。

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ここからはバスに乗って金角湾を
渡2012年に開通した黄金橋を渡ってルースキー島に入ります。
昼食をとった所から見た黄金橋です。霞がかかっていてボーっとしか見えません。
海には客船が軍艦も浮かんでいますが、はっきりしないです。今の季節はいつもこんな感じだそうです。
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ルースキ島から
今来た街の方を眺めました。
かすかに灯台が見えます。
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最後の見学は
裏地をストック要塞博物館です。
博物館の中は色々な資料が整えられていました。
博物館は高台にあり街を海が眺められました。
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なんかここまで来ると
ちょっと疲れてしまってざっと見学しました。
要塞模型です。
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食料を運ぶ図です。
日本の攻撃に備えていたんだと思います。
結局は使うことはなかったと説明されていました。
各地の要塞の絵が展示されていました。
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夕食はロシア料理でした。
面白いレストランで食べました。
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昔の地図を見ながら
現在のウラジオストクを歩く散歩道面白かったです。
新しくなっているけどまだ残っているというものがそれなりにあることに感動しました。
ホテルのベッドが狭く落ちないかと心配しましたが大丈夫でした。




by yukinachan55 | 2017-06-19 21:17 | 海外旅行

最初の第一歩 毎日一つ感動


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