韓国・中国・ロシア三国をつなぐ旅 ①38度線非武装地帯見学
2017年 06月 15日
その間、三月に中国西安、四月に中国天津、五月にソウルと旅行していて
ブログ更新よりも次回の旅の準備に追われていました。
今回の旅は「北東アジア平和と友好の旅」で久しぶりに大勢のツアーに参加しました。
参加者は35人でそれぞれが今回の旅行に思いを持って参加されたようです。
事前に二回学習会を行いました。
一回目は今回の韓国の非武装地帯の歴史について
、中国東北部「ソ満国境15歳の夏と関東軍」
「私の15歳昭和20年の体験」で貴重な資料をもとに学習しました。
二回目は「19世紀待つから20世紀初期のウラジオストクの日本人街」
そこ頃ウウラジオストクへわたり真面目に働いたおじいさんの残した資料を基に
お孫さんである堀江満智さんのお話を聞きました。
学習会の時はそれなりに聞いていた話を実際に自分の足で歩き見た廻った後で
再度資料を見るととてもよく話から貴重な学習会だった感心し
主催者の方たちのご努力に感謝しました。
一日目は関西空港に集合です。今回は関西空港から二八名成田空港から三名
福岡空港から三名中部空港から一名添乗員一名がソウル仁川空港で待ち合わせます。
朝7時半集合は早かったけど丁度バスの便がありちゃんと間に合いました。
関空から仁川までは一時間50分の飛行時間ですが、昼食が出ました。
最近はほとんど格安切符の旅の久しぶりの機内食でした。
仁川で全員集合して、このまま38度線非武装地帯の見学に行きました。
バスで移動途中の検問所で係員がパスポートの確認に入ってきました。
若い軍人さんでした。
ますは非武装地帯の最初の見学地臨津閣(임진각)です。
ここは南と北をつなぐ橋を見ることができ、展望台や北側を拝める遥拝所
等があります。
南と北とがつながっていいる橋を眺めました。
最近この橋の途中まで行けるようになっていました。
切符を買った行けるようです。時間がなかったので見るだけです。
朝鮮戦争中の襲撃にさらされた列車の展示です。
弾丸の後が生々しく残っていました。これでは人は生きていないだろうと思いました。
ここで式典を行ったときのものです。
なんか痛いほど気持ちがわかります。
次にバスで移動して非武装地帯の中に入ります
ここでは説明の映像室と第三トンネルの見学をしました。
最初は映像室でトンネルの説明の映像を見ました。
写真展示で一番印象に残ったものです。
説明には「 군사분계선읗 긋고 있는 유엥군과 북한군」
「軍事分界戦を書いている連合軍と北韓軍」とありました。
次に第三トンネルにむかいました。
北朝鮮による南進トンネルでちか73m幅2m高さ2mという大規模なものです。
ここでは写真は絶対ダメということで写真はありません。
荷物は全部ロッカーに預けます。ヘルメットをかぶって
まず、三人横並びで座り、モノレールで地下に入っていきます。
あまり気持ちのいいものではありません。
下に着くと横に掘ったといわれるトンネルが続いていました。
頭に気を付けながら最終非武装地帯の最後173mまで歩きました。
そこには鉄条網が張られトンネルの向こうは北朝鮮です。
掘ってある壁を見ると北朝鮮が掘ったものと解るそうです。
次にトラk展望台に行きました。
展望台の屋根には
「분단의끝 통일의시작」 分断の終わり、統一の始まり」と書いてあります。
この日はガスっていて遠くの北朝鮮が見にくかったです。
写真は黄色い線の中に入って写してはいけないことになっています。
非武装地帯の模型の前から写した写真で向こうに見える山はすべて北朝鮮です。
次に韓国最北端の駅にあたる
京義線トラサン駅に向かいました。
構内に入ると真正面の壁には
「남쪽의 마지막 역이 아니라 북쪽으로 가는 첫번째 역입니다」
「南側の最後の駅でなく 北側への最初の駅です。」
篤い統一への気持ちが伝わってきます。
構内に入って眺めた鉄道です。
この鉄道がつながれば韓国から北朝鮮シベリアを通ってヨーロッパスペインまで
行くことができます。
立て看板です。
トラサン駅 →ピョンヤン205km →ソウル56km
トラサン駅を後にして帰る途中に
向こう側に北朝鮮が見えます。
有刺鉄線が悲しく続いています。
複雑の思いを胸に非武装地帯の見学を終えました。
ホテルへ移動する途中に漢江を渡る時西の空に夕日がきれいに光っていました。
南も北も同じ太陽なのに見ることができる場所が限られていることは
本当に悲しいことです。
今日は仁川の近くのホテルに泊まり
夕食は韓定食を食べ、街中のホテルでした。
隣のコンビニで土産に韓国のお菓子を買いました。
明日は早朝から仁川から飛行機で中国牡丹江へ移動します。
ゆっくり休みました。