「オンマをお願い」作家の言葉を読む 

 「オンマをお願い」を読み終わったけど
エピローグまで読んで、やはりエピタはわかりにくいし
最後にオンマがどうなるか
私は亡くなっていると思ったのですが、
作者がどう考えているかが気になりました。
巻末に作者の言葉があったので韓国語の勉強するつもりで
訳してみました。
読んでいるのと違って日本語で書いて見ると難しいです。
言葉の間違いや取り違いがあると思いますが書いて見ます。

「作家の言葉」
昨年の冬約30年ぶりに母と私の家で十五日ぐらい一緒に過ごしたことがあった。
思春期の時母の側を離れて以後、このように多くの日々を母と一緒に
過ごしたことは初めてだった
明け方の度に母の寝ている部屋をたずねてみた。
私がその時間に部屋の戸を開けると母はすでに起きていた。
私が中に入っていくと母は「どうしたの」といいながらも
私が母の横に横たわると「こんな日もあるんだなあ  本当にいいなあ」
といった。
私たちは天井を見て横になったまま、ぼそぼそと昔の話を交わした。
はるかに忘れてしまっていた昔のことが私たち母娘が話し合っている
部屋の中にどっと押し寄せてきた。
そんな日々のことが さまざまなことが日々流れる間に母の胸の中に
いまだに解決できていない昔のことが木の根っこのように苦しく
絡んでいるということがわかった。
時折母はとても小さくなって私の胸の中で泣くこともあった。
そうしているうちに気持ちがしっかりして、私が「どうしてこうなの?」
とたずねると すぐに元の母の姿に戻った
母にはなんでもない ただ話を聞いてくれる人が必要だということを
実感した。
そうだからといって私が温和に母の話を聞くだけしたということではない
「あることをおくということはそうではない なぜそのようにかんがえるのよ」
声を高くして争うこともあった。
同じ布団の中で互いに激しい息づかいをし、背中合わせに寝ていた瞬間も
あった。心が傷ついた母が家に帰ろうと荷物を包んだ瞬間も
そうしたことがあったとしても私はこの明け方のすべての瞬間に
明らかに幸福を感じた それも、完全な幸福を、
その幸福の余韻は広く、深くて 一体全体その気運が
何処から流れ出てくるものかしばらく考えてわかった。
母がまだ私の横にいるということ、母の横で横になって朝が来ることを
待ちながら母の話を聞くことが出来る幸運を私が享受しているということ
そういうことなのだ

 その時感じた幸福感がこの小説を書き続けたということは疑いがないだろう
小説の中のオンマはあまりにも不幸に書いているということだ
しかし事実だ
この明け方の幸福を私だけが享受することでないという考えがひらめいた
表現しなくてはならないという幸福だった。
誰にでもがまだ手遅れではないと言うことを言って上げたい 
私式の方法がこの小説だ
私のこんな気持ちが「オンマを失って一週間だ」という初めの文章を
誕生させた。
連載を終えた後も苦心の末にオンマを生き返させるために
「エピローグ」「バラのロザリオ」編を書いた。
この初めの文章を「オンマを失ってから9ヶ月たった」
ということを選択した理由も私たちが母を理解し愛し、
世話をすることが出来る時間がまだ残っているということを言いたかったのだ
失うだけでなく探すことができるという希望の余地を残しておきたかった
今日私たちの後ろにもぬけの殻になって立っている私たちの母親が
成し遂げてきたことをどうしてすべて推し量ることが出来ようか
この心痛い愛と熱情と犠牲を復元してみようと努力しているだけだ
これによって閉じこもっている母親達の人生がどれほど社会的な
意味を持つことを望んでいることが作家としての私の素朴な希望だ

原稿を脱稿して私が一番先にしたことは田舎の母に電話をかけてみたことだ
夜十時になっていた。父が電話を受けた。お母さんは寝ているのかと
たずねたら納屋にいると言われた。納屋で・・・?
そこで何をしているの?こんな時間にとたずねたら
ニンニクの皮をむいているといった。
私が幼い頃に本を読んでいたあの納屋でお母さんがこの時間に
ニンニクの皮をむいているって?
母の携帯にもう一度電話をかけた
夜中に何でニンニクをむいているのかと私がやかましく聞き出すと
母はただ淡々とした声で眠れないからそうしているんだと答えた。
もうすぐキムチをつけることをしなければならないから
一日何個がづつでも前もってむいておくことがいいと言いながら
次の日原稿を送ってもう一度母に電話をしてみたのに
今度は大豆畑に行っていた。日照りなので大豆が枯れてしまったら
大変惜しいからと言っていた。
70歳を越えてもニンニクの皮をむき、雨が降らないから
気がかりで大豆畑に行って立っている人が私の母だという考えは
文章を書いて生活している私の人生をいつも換気させる
いつからか文章が書けなくなるとか、私が均衡を失って
一方の側にかたむくと思ったとき、
母に電話をかけている自分を発見した。
そういうときには、母は丁度歌を歌う様に私がこの世界に
出てくる前から存在した人々の話を際限なくしてくれた
私は黙って母の言葉を書き取ることもあった。
間違うことなく 人生が急にまっ逆さまに落ちたとしても
人生をあきらめることなく夢を育て愛を殖やしていく事で
毎日一歩ずつ前に出て行った人たちが持っている秘密は
すぐ私の小説になることもあった。
母は私にしてくれた話が自分の話でないといった。母も誰からが伝え
聞いた話かも、私も母が私に伝えてくれた話は宇宙でひんぱんに
発生して、そして消えていくただそんなはず多くの話の中の
一つであるかもしれないけれど 
その文を書いている間私は不意に悟った。
この話は私に夢を見続けさせることだと言うことを
母は自分がしてくれた話を私を通じて多くの人々に伝えることを
望んでいることを

 文章を書くこと以外は何事も私に取り得がないと言うことを
教えてくれたことは幸福なのか不幸なのかはわからない
 この道を私が選んだことも同様に初めから定められていた道に
入ったということと同じことだ
母は私にいつも自分のように生きないように言っていたが
私はこの道を母のように生きて生きたい
母は私たちにすべて使い果たした身体で眠れない夜には
ニンニクの皮をむき、そのニンニクでキムチをつけ私に送ってくる
大豆が凶作になったら市場にいって大豆を買ってそしてチョングチゲを
作ってわたしに送ってくる
この母の娘である私はこの道を母のように生きることが出来るようにと考えている
      2008年秋

とりあえず書いて見ました。
あ~あ疲れました。今日は書いて見ました。
見直すのは明日にします。
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by yukinachan55 | 2012-12-29 23:12 | 読書 | Trackback | Comments(0)

最初の第一歩 毎日一つ感動


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